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乗蓮寺の由来 乗蓮寺は、鎌倉幕府を開いた征夷大将軍・源頼朝の奥方である北条政子により建立されたお寺です。 北条政子は仏門に厚く帰依し、頼朝の死後は剃髪して二位の尼と称し一方で天下の政治を、他方で仏教を説き、諸国に仏像を納め各地に寺を建立し、人心の善導に努めました。 晩年には鎌倉の鬼門にあたる当地に滞在し、朝夕の化粧に適した井戸を掘らせ、本尊不動明王をお祀りして乗蓮寺を建立しました。今から約800年前の貞応元年のことです。 そして、女人と子供の守護仏となるよう御誓願をし、自分の姿を鏡に写して自刻した分身を御影堂に安置し、信じてお参りに来る物は「一切の災厄を免れ、願望成就し、利益限りなし」と説き、厄除けの尼将軍ともいわれました。 境内には化粧の井戸、尼将軍お手植えの榧(カヤ)の木などが今も残っています(右の写真をクリックすると拡大表示します)。 乗蓮寺では月に一度、永代供養墓に祀られた方々のための法要が営まれています。この先も乗蓮寺がここにある限り、この営みは変わることなく続けられていきます。 |
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北条政子 鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝の妻として歴史に名を残す北条政子。頼朝の死後も鎌倉幕府を影で支え、実家・北条氏の執権政治を確立させた彼女は、人々から「尼将軍」と呼ばれていましたが、その素顔はあまり知られていません。 政子の実家である北条氏はもともと平家の家臣で、伊豆に流された頼朝の監視を任されていました。 そこで二人は知り合い、やがて結婚を約束しました。このとき結婚に反対する父に対して政子は、「平家の勢力はやがて衰え、源氏の時代が訪れるでしょう」と説き伏せたと言われています。また、嵐の晩に険しい山道を自ら馬を走らせて頼朝に会いに出向いたという逸話からも、勝気で一本気な烈女ぶりが伺えます。 頼朝にとっても政子は、幾多の苦難にも潰されない、芯の強い女性として理想の妻であったようです。 乗蓮寺の本堂には、自刻した分身「北条政子」像が安置されています。 |
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